青山霊園の市川家の墓地
 常照院はかつて歌舞伎の名門である市川団十郎家の菩提寺であり、当家の墓所がありました。

 初代団十郎が刺殺という不慮の死を遂げたのは、元禄十七年(1704)でした。いかなる縁かその遺骸は、徳川将軍家の菩提寺で芝増上寺の子院である当常照院に葬られました。現在も三升の紋の香合、五代目が寄進して七代目が修理した一対の唐金(銅)の灯籠、そして七代目が文政元年(一八一八)に贈った石の手水鉢などがその歴史を語っています。八代目の団十郎は大阪で自害し、やはり浄土宗である大阪の一心寺に葬られ、常照院には遺髪が納められたそうです。

 その後時代は明治に移り、市川家の復興をはかった革新的な九代目の団十郎は神道に改宗、明治三十六年(一九〇三)に亡くなりました。その墓地は神式となり公営の青山霊園に建立されました。以後市川家は神道となりました。

 そして、大正十二年に起こった関東大震災の被害により、寺院の移転・墓地の改修などが相次ぐなか、常照院も墓地の整理改修をすることとなりました。そのため、昭和九年(一九三四)にそれまでの市川家の墓地も青山霊園へ移転改葬されました。


三升の紋の香合(常照院蔵)

五代目が寄進して七代目が修理した
一対の唐金(銅製)の灯籠(常照院蔵)

文政元年(一八一八)七代目が寄贈した
石造りの手水鉢(常照院蔵)


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